一緒にケーキを作ることからはじめよう
『ケーキの切れない非行少年たち』を読みました。
児童精神科医を勤めていた著者(宮口 幸治氏)が医療少年院にいた頃の記録。
少年院では、非行少年たちに反省を強いる一方で、彼らの多くが「反省・罪を理解する以前」の段階にいたという話が書いてあります。
認知の歪み、想像力の欠如によって、丸いケーキを三等分にすることもままならない非行少年たち。
しかしそれは少年院に留まる話ではなく、普通の学校においても同じことが言えるのです。
非行少年が"三等分"したケーキの図
今やこの本は、40万部を超えるベストセラーとなっています。
感想文は既に多くの人が書いていると思うので、今回は自分の周りにいた「ケーキの切れなかったかもしれない非行少年たち」について書いていこうと思います。
非行少年たちと過ごした中学生時代
私の出身中学は同級生の大半が喫煙者で、
先輩が妊娠したらしい、という噂だとか、
先生に怒鳴って立て付いてるとか、
悪い話ばかりが上がる学校で、
そういった非行少年たちがスクールカーストの上位に君臨しているところでした。
恐ろしいもので、そんな中で生活していると当然感覚は狂います。私はいじめに加担したことがありますし、当然いじめられたこともあります。「オメエの席ねえから」が本当に起きてしまう学校でした。「明日には皆が敵になるかもしれない」非常にストレスフルな毎日でした。
何かがおかしいのだけれど、
みんな気づいてはいるのだけど、
スクールカースト中〜下の生徒には、口などなかったのでした。
そして次第に心が侵食されていくのを感じていました。
そんなある日、臨時の学年集会が開かれました。
傷害事件が起きたのです。
加害者は2人。(以後少年A,Bとします)
被害者の男子(少年C)は家庭内でネグレクトを受けていました。
体は常に匂い、真っ黒な学ランの両肩と背中には、いつでも雪のようにフケが溜まっていました。
Cは誰にどんな風に言われても、それに対して不満を漏らすこともなく、ただただヘラヘラと笑っている、ちびまる子ちゃんで言うところの山田くんみたいな子でした。
今回それが行き過ぎた形で傷害事件となったようです。
どうやら、A,BはCの筋肉が分裂して動けなくなるまで殴り続けたとのこと。
その酷さはクラスの先生が集会中に生徒の前で泣いてしまうほどでした。
A
Aは、もともとやんちゃで乱暴なところはあっても、人に意地悪はしませんでした。幼稚園から一緒だったので覚えています。私が蜂に刺されて泣いていたところを助けて貰ったこともあります。
しかし、小学校に入った辺りから様子がおかしくなりました。
どんな簡単なテストも、点が取れず忘れ物ばかり。Aは先生にいつも怒られてばかりでした。何か問題が起きたら真っ先にAが疑われました。
ある日、Aは窓ガラスを割りました。
担任の先生はその件に関して、授業を1つ潰して徹底的にAを反省させようとしました。
教室の隅に立たされた彼は、
「なぜ割ったのだ」
「なぜわからないのだ」
と、ずっと詰られました。
話を聞いていると、Aには窓を割る気などありませんでした。
ただ、遊んでいて、窓にパンチして、そしたら割れたのです。
"ガラスの窓にグーでパンチしたらどうなるか"
それが想像できないまま、衝動的にやったのです。
一瞬のブレーキが効かず、不器用にも割ってしまったのです。
その後も反省を促す言葉のオンパレード。
クラスメイトには
「よくかんがえれば、ふつうはわかると思います」
「そんな力があるんだったら、もっと他のところに使えばいいと思います」
などと言われ、その時のAの表情は反省というよりも、
どこか悲しんでいる様に見えました。
これは小学校高学年の春のことです。
そしてAは中学に入学し、立派なヤンキーになっていきました。
いつの間にか近づき難いオーラを纏い、意図的にワルをするようになっていました。
そして傷害事件は起きました。
しかし臨時集会、
皆の前に立たされた彼の表情は、
窓ガラスを割った時に似ていました。
少年Aにケーキは切れたか
当時、彼はケーキを三等分にできただろうか。
と私は思います。
なぜならAは、この本で言うところの「非行少年に共通する特徴」に全て当てはまっていたからです。
非行少年に共通する特徴5点セット+1
・認知機能の弱さ……見たり聞いたり想像する力が弱い
・感情統制の弱さ……感情をコントロールするのが苦手。すぐにキレる
・融通の利かなさ……何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い
・不適切な自己評価……自分の問題点が分からない。自信があり過ぎる、なさ過ぎる
・対人スキルの乏しさ……人とのコミュニケーションが苦手
+1身体的不器用さ……力加減ができない、身体の使い方が不器用
出典:『ケーキの切れない非行少年たち』(p47~48より)
Aは、
そして少年Bを含む他の非行少年たちは、
と言うか私も、
非行少年たちによって支配されていたあの空間の中では、誰もケーキを切ることができなかった可能性があるのではないか。
とさえ思ってしまうのです。
高校で自称進学校に進学した私は、今までの歪みを確実に理解しました。
・タバコを吸っていない人が殆どだったこと
・男子がしっかり勉強をしていること
・先生に丁寧な言葉を使う人がいること
これはかなりのカルチャーショックでした。
私はそのお行儀の良さ、そしてこれが普通の世界で生きてきた人達と共に3年間を過ごさなければならないことに対して何故か落ち込み、一時期不登校になるほどでした。適切なコミュニケーションの形がわからなかったのです。
しかしこれは、AのせいでもBのせいでも、家庭のせいでも教師のせいでもない。(当書において、早期に非行少年予備軍を発見し社会面での支援を満足にできていない教育現場に問題があるとしているが、私はそうは思わない)
生まれた土地が作り出した運命。と感じるからです。
これは誰にも非がないからこそ絶望的で、悩ましいことなのです。
そこで生まれ、そこで育ち、そこで子を産む。「そのような子」になる。
これは何ら不自然なことでありません。
そこで生まれてしまった限り、
違和感に気づいてしまったとしても、
十字架が外れることなく、私たちは生きていかねばならぬのです。
しかし唯一希望があるとするならば、
違和感に気づいた当事者だけが、彼らを救えるかもしれないのです。
わかりやすく、
おもしろく、
そして、深く。
一緒にケーキを作ることからはじめよう
私は今病床にいますが、
生まれ育ったこの場所に何が必要だったかを、ずっと考えています。
あの日のままアップデートされていない人生を歩む、元非行少年たちのことを考えています。
「町」というコミュニティ。ただ同じ場所に生まれた、それだけの括りで集まった人達。教育の面からはもちろんですが、「元」非行少年だった人達に対してのアプローチを私は考え続けるつもりです。(その前に自分のことを早く治さなければいけないのだけど。)
私がいじめた人も、私をいじめた人も、皆と一緒にケーキを作るところから始めたい。
そう思うのです。
あーもうこんな時間だ寝なきゃ!
人のことばかり考えるのやめてさっさと元気になりたい!!!
おやすみ!!