カレンダーに予定を入れられなくなった話
私はニートです
ちなみに、精神疾患をいくつか持っています。
そのひとつである鬱は、少しずつではありますが寛解に向かっています。初期と比べたら横になっている時間が大分減ったし、散歩も少しできるようになりました。PCを開けるようになって、後ろ向きな時間が少し短くなってきました。(ちなみにこのような状態に戻るまでに半年以上はかかっています。)
もうひとつの、小学生の頃に発症したパニック障害は治りません。一生付き合っていかねばならないものです。
そして「何かやりたい」という気持ちとは裏腹にパニックは邪魔をしてきます。
すぐ過呼吸になって場の空気壊してしまうのまじ死にたいな わざとしてるわけじゃないのに、メンヘラアピですか^_^?と思われたらどうしようという思いでより過呼吸になるという 負の連鎖〜〜^_^☆ミ
— てきと〜なゆうこす (@yukos_nemutai) 2020年3月9日
ちなみに尊敬というか畏敬の念さえ抱いてしまう起業家のゆうこすちゃんも私と同じパニック障害を持っていますが、本当に上記のツイートは「それな!!」案件です。
それが鬱とそれが合わさった日には、どうしようもありません。予測不可能なパニックに、通常よりも大きな不安感が伴うのです。これがずっと続いています。
そして、鬱なんて何かやりたいことができて来たら治るものだと思っていたけど、そんなに簡単なものではないみたいです。3日動いて、2日寝込んで、また良くなったと思っても、1時間後には死にたくなる。そんなことがザラに起きます。自分のことが信用できませんし、身体中がバグに侵されているようです。
カレンダーに予定を入れられなくなった
それまでの私はGoogleカレンダーが大好きでした。何か隙間があれば予定を詰め込み、少しでも動こうとしていました。
なんでも早く、そしていっぱい進めなければ、と焦っていました。それは自分が実はとても怠け者で、人の倍やらないと何も得ることができない人間だということを熟知していたからです。
予定が全て、予定さえ入れて入ればその通りに進む。その通りに終わる。そんな考えでした。私は何よりも「終わること」が大好きでした。終わることで何か得たような気分になっていました。
しかし今の私にとって、カレンダーはもう機能しなくなってしまいました。
予定を入れても、体が動いてくれません。
人はコンピューターではないのだから、そんなことよく考えれば当たり前なのだけど、この状態になって初めて理解しました。
「頭痛、吐き気が毎朝起こる。」
「食べなければいけないとわかっていても食べられない。」
「夜に眠れない。夜中に何度も目覚めてしまう。」
「突如、死にたい気持ちが襲って来る。」
精神疾患は、単に気持ちの問題や根性がないだけと捉えられがちですが、「これは病気なのだ」と実感した瞬間でした。生きるために当たり前にすべき行動ができなくなってしまう。それも、自分の意思とは関係なくです。
人は日々挑戦と失敗を重ねながら成長していく生き物ですが、疾患をもつ人達にとっては、生きること自体大きな挑戦です。気を抜いていたらうっかり死んでしまうかもしれないスレスレのところに立っています。(今の自分は、そこからは脱却できたかもしれません。)
時の波に乗るしかない
しかしひとつ思ったことがあって、病気に罹っておらずとも人はうっかり死んでしまうのだなということです。そういったことが現実に起こり得るということです。最近流行ったワニくんの話やコロナウイルス然り、何事も突然にやって来るのだと思います。
それと、自分のコントロールの効かない体のように、世界は常にグニャグニャと波を立てて生きているのだと思うようになりました。
急にスピったことを言い出したと思われても仕方がないのですが、心も体も広く深い海のようで、謎に満ちています。私たちはその中を、まるで色んなことをわかっているかのように生きている。だからこそ「こんなはずじゃなかった」に満ち満ちている。私も「こんなはずじゃなかった」に絶望した内の1人です。
母は小学生の頃、父親(私にとっての祖父)を原因不明の心臓発作で亡くしています。
そういったことが現実に起きている。
Googleカレンダーの予定がなんだというのでしょう。
予定というものが、あくまで「予定」で、確実なものではないのだと今更になってわかったのです。
だからこれからの私の生き方は、「波乗り」です。心と体のサーフボードで、時の波に乗るのです。
波乗りは終わりません。海は広いし大きいからです。月はのぼるし日が沈みますが、波は毎日止みません。終わることがあるとするなら、サーフボードから落ちた時です。
もうカレンダーに依存はしません。未来に決まったものなどない。そういった心構えで、改めて世界に挑戦を仕掛けていかなければと思います。
何故こんなことを書き始めたのだかわかりませんが、記録として、書き留めて起きます。
おやすみ。